もう一度、あなたの隣に
今回の本:作者 中島敦
「李陵・山月記」 1969年 新潮社
主要人物は三人いる、李陵、司馬遷、蘇武。タイトルは李陵なのに(実は中島自身は「漠北悲歌」と付けたかったらしい)何故他の二人にも多くのページが割かれているのか。それはおそらく李陵の人間としての弱さを中島が描きたかったからではないだろうか。
私とこの作品の出会いはかれこれ十五年ほど前、高校生の時だ。私はこの作品の読書感想文で恐れ多くも図書券(500円分)を学校から賜った。校長室で校長先生から寸評も頂き、好きな小説について書くことの楽しさを胸に刻み込んだ。感想文の締めの文を今でも覚えている。
「空を見上げてみればよかったのに。私はそっと呟いた。」
当時の私は、彼が砂漠ばかり眺めていたせいでより孤独を感じるようになったと思っていた。地平線が365度広がる砂漠、吹き付ける熱風、湿気のない世界。
一族を殺された彼に砂漠がさらに追い打ちをかけたと思った。
しかし、いま一度読み返してみると司馬遷と蘇武の存在が彼の孤独をより際立たせていることに気が付く。
李陵を擁護した為に屈辱的な刑を受け、それでも史記をまとめあげる司馬遷、異土にあってもなお皇帝に忠誠を誓い続ける蘇武。彼らを前にするとあんなにも勇敢な李陵が途端に弱々しくなる。
ー全軍斬死の外、途は無いようだなと、又暫くしてから、誰に向ってともなく言った。
捕虜になる前の李陵は、自軍に紛れ込んでいた哀れな女たちを無慈悲にも殺し、死に戦とわかっていても敵に背を向けずに戦い続けた。勝算があるかどうかは関係ない。
彼は部下からの信頼、そして自身の誇りにかけて戦い続けたのだ。そんな彼を匈奴たちは丁重にもてなす。衣食住の不自由をさせず、時には彼に教えを乞うこともある。
彼が自身の猜疑心から助言を断っても、激昂したりせず受け入れる。匈奴は野蛮人だと、敵だと教えられてきた李陵からすれば、それは予想外の世界だったのだろう。
帰る場所などもうない。しかしこの砂漠に心を埋めてしまうには、彼はあまりに弱すぎた。彼の心はいつも故郷にあった。それはこんな風に乾ききった大地ではない。
砂漠を見つめる彼の背中を私は再び想像する。以前の私は彼を慰めているようで、そうではなかった。どこか上から目線でもある。今度は彼にこう伝えたい。彼が固く握りしめた拳を開けるように。
一緒に夜空を見てみませんか。砂漠の星空はきっと、降るように美しいはずですから、と。
by おさいさん