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結婚(したくない気持ち)の研究 ヨモ

年末から、結婚にまつわる本を読んでいた。

中井治郎著『日本のふしぎな夫婦同姓』
能町みね子『結婚の奴』

結婚の予定があるわけではない。相手がいるわけでも無い。むしろ自分はなぜだか結婚したくないようだ、ということが近年はっきりとしてきた。
どころか「結婚」というものに、なんだか夢も希望もなく、する意味があるのか…?とまで思い始めている。では、なぜ?という疑問を外側から掘り下げるべく読むことにしたのです。

前者はTwitterでフォロワー3万人の非常勤社会学者ジロウさんの新書。後者は相撲界隈でも活躍中の能町さんの本。どちらもフォローしているのだけど、この2冊の共通点は、最近結婚した本人が、自らの結婚について語っているところ。


ジロウさんは、自らの結婚の際に妻の名字を選択した。しかしそれは現代日本で4%の少数派の選択だった。しかし世界的に見ると、結婚するときに夫婦同姓にするしかない国は、もはや日本だけだったのである…という話。新書だが、エッセイのような読み口で面白かった(ジロウさんのツイッターでの語り口のファンなのである)。

能町さんは元男性で女性になった方だけれど、行き詰まったひとり暮らしを打開すべく、ゲイの知人と結婚を前提にお付き合いを始める(もちろんお互いに恋愛感情ナシ)。漫画かドラマの設定のようだが、実録なのである。

どちらも多数派ではない結婚について書かれていたのだけれど、両方を読んで、結婚(したくない)気持ちの研究がかなり捗った。

私の感想
・私は名字を変えたくなかったのだ(知ってた)
・相手の名字も変えたくなかったのだ(薄々気付いてた!)
・他人と一緒に暮らせる気がしない…とずっと思っていたが、能町さんの寝ウンコ漏らしたズボンの話で、自分の弱点を見せることを怖れすぎているのかもしれないと思った
ジェンダーロールから自由な夫婦には、憧れることができそう


どうも自分は旧態の夫婦だとか家庭だとかいうものに絶望しているのであって、人と暮らす、ということには漠然とした憧れがあって、でも出来る気がしない、という辺りにいるらしい、という現状を把握することができた。

(私は女で、ジェンダーロール的にごはんを作ることを期待されがちな側だが、自宅ではおおむね力尽きて倒れているので、それ(よき妻だとか母だとかいうもの)になることはおよそ絶望的である)

自分の内面はさておき、選択的夫婦別姓がはやく選べる世の中になればいいな。あと、同性婚も出来るようになったらいい。それで救われる人は多いはずなので…。


2冊を読み終えて、なるほど捗った。と思っているところに、昨年チケットを取っていた芝居を見に行くタイミングが重なった。

寺山修司作 音楽劇「海王星」である。

この作品も、テーマは「結婚」。偶然なのか、必然なのか、さらに結婚について考えを進めることになった。(次回に続く)