時間を無駄にしたくないは、時間をあっという間にしたくないの表れかもしれない話
はじめまして、おさいさんです。
このブログを始めようと思い立ち早半年。ようやく重い腰をあげて開設に至りました。
概要欄にもありますが、ここはどこかの街のどこかの片隅にある小さな書庫です(多分間借り)。
普段は仮の姿(会社員)で現実に不平不満を頂きつつも、いや、お金貰ってるしな‥と思いつつなんとかやり過ごしているおさいさんが紆余曲折を経て、結局好きなんだなと思うに至った本の感想を書き散らかす予定です。
最近の読書傾向としては、現実の本にちょっと飽きたから電子書籍でも読むかみたいに思うことがあります。現実の本に飽きるってなんだよって感じですが、電子ペーパーの読み触り?心地?に時々触れたくなることがあります。
基本は現実の本、実体のある本が好きです。本棚がそろそろやばいです。でも手放す気にはさらさらなれず、床が抜けたらどうしようかなと考えるだけです。
さて、本題。
一昨日、友人と話していた時に、元来めんどくさがりな私が最近やたらと休みの日にも何かをしているという話になった。
何かというのは、コーヒー淹れたり、お菓子を作ったり、ピアノの練習をしたり、読書したり、サボテンに話しかけてみたり、と文字にしてみると大したことしてないですが、以前の自分に比べると結構アクティブ。いやもうめちゃくちゃアクティブ。
リビングに寝転がってうだうだしていることもあるにはあるけど、それだけで一日を終わらせることはしたくないという無意識がどこかにある。
楽しい時間はあっという間だとよく言う。
でも楽しくない時間(主に仕事)もあっという間だ。
どちらも終わってみると「あっという間」になっている。
この事実に私はようやく気がついた。
今のところ、私の中で過去は全て「あっという間」のカテゴリに入っている。
どんなに楽しかった時間も、退屈でたまらなかった時間も、全ては過去というカゴに入り、それを「今」の私が見ると、どちらも「あっという間」だ。
イメージとしてはアコーディオンのふいごの部分の動き。
「今」として自分がその渦中にいる間はふいごが伸ばされ、時間が進んでいくにつれて段々とそのふいごは縮んでいき、最終的に「今」が「過去」になるとそれはぺったんこになってしまう。過去になった膨大な時間はそうやって薄いレコードを収納するかのように蓄積されていく。
しかし、そのふいごが伸ばされている瞬間の広がり具合は、私たちがその時間をどう過ごしたかによって違うのではないか。
つまり私は、怠惰に寝転がったりすることでふいごをちょっとだけ広げるのではなく、
何か、何でもいい、ふいごをもうちょっと引き伸ばす為に足掻いているのだ。
最終的にその時間がぺったんこになるとわかっていても、せめてその時間が自分の目の前にある時だけは広がりを持たせたい。そんな気持ちで足掻き始めたわけだ。
ここで注意したいのは
「時間がない」と思いつつ色々なことをやるのとはちょっと違うということだ。
スケジュールを細かく組んで、計画通りに全てをこなしていくのはどちらかといえば
「時間がない」の世界で、それはふいごを広げるのではなく縮めている。
私はあくまで「これをやろう」と思うだけで、
それを何時までに、このくらいの出来で終わらせようとは思っていない。
時間論についてはまだ不勉強なもので、これくらいにしかまとめられませんでした!悪しからず!
とりあえずここ数日で時間論を学ぶには、アリストテレスとベルクソンとカントを読まねばならぬと知ってちょっと絶望している。だってカントってラスボスやんか…それくらい私も知っとるよ…。
みなさまよい週末をお過ごしください。
by おさいさん