利口で素晴らしいひとになるか、賢く立派な人になるか
今回の本;作者 J.D.サリンジャー
サリンジャー選集2「若者たち」収録「最後の休暇の最後の日」
1968年荒地出版社 渥美昭夫訳
「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」収録「最後の休暇の最後の日」
2018年新潮社 金原瑞人訳
サリンジャーのファンは多い(私の周りではハルキストよりサリンジャーのファンが多い)。私ももちろんそのひとりだ。彼の数少ない著作を読み漁り、感慨に耽り、人生を憂えるひとりである。
「ライ麦畑でつかまえて」は彼の代表作であり、彼をこの作品で知った人も多いだろう。あるいは「バナナフィッシュにうってつけの日」から連なるグラースサーガに魅了される人。「フラニーとゾーイ」は何度読み返しても面白い。フラニーが巡礼の道の話をするところなんてあまりに好きすぎて洋書を買って翻訳と比較してしまったくらいに好きだ(気ちがいのおさいさん)。
しかしあえて、あえて一つだけ選ぶとしたら(それが不毛なことくらい知ってるけれど)
私は「最後の休暇の最後の日」こと「The Last Day of the Last Furlough」を選ぶ。
この物語はライ麦畑でつかまえての主人公ホールデンの兄ヴィンセント・コールフィールドが登場する短編であり、主人公はヴィンセントの友人ベーブ・グラドウォーラー。
彼はいま「最後の休暇」の真っ只中だ。
この休暇ののちに彼は戦地へと向かう。そう、第二次世界大戦へと。
彼と彼の家族たち(両親と妹)、そしてヴィンセントを交えて食事をする場面がある。
ベーブの父親は第一次世界大戦に従軍した経験があり、ことあるごとに当時のことを自慢げに語る癖がある。招待された身なのでヴィンセントは調子を合わせて機嫌を取っているが、ベーブは耐えかねてついに口を開いてしまう。
以下、二つの翻訳から引用です。
ーときどき、パパが戦争のはなしをするとき、パパの年代の人たちはみんなそうなんだけど、まるで戦争って、何か、むごたらしくて汚らしいゲームみたいなもので、そのおかげで青年たちが一人前になったみたいに聞こえるんだな。
1968年荒地出版社 渥美昭夫訳
ー父さん、偉そうにきこえるかもしれないけど、父さんは先の大戦のことを話すとき、父さんたちの世代の人はみんな同じで、ときどき、戦争は泥まみれになってやる荒っぽいスポーツみたいなもので、自分たちはそれをやって大人になったみたいな言い方をするよね。
2018年新潮社 金原瑞人訳
ベーブは言う。ぼくはこんどの戦争は正しいと思う、と。だって、他にどう考えればいいんだろう。
初めてこれを読んだとき、私は背後から棍棒で殴られたみたいな衝撃を受けて、しばらく自分が息をしているのかどうかもわからなくなった。
彼は知っている。戦争が何も生み出さないことを。
彼はそれが始まる前から知っていたのだ、全てを。
それを想像することしかできない、私は何て、何て無力なんだろう。
間違ったことを言ったかな?とはにかむベーブにヴィンセントは言う。(この部分の翻訳は渥美版のほうが好きなのでそちらを引用する)
ーいいや。でも君は人間に多くを期待しすぎると思うな
1968年荒地出版社 渥美昭夫訳
私はここですっと掬われる(救われるのではなく掬われる)。ベーブがまだ人間に絶望しきっていないことをヴィンセントが教えてくれたのだ。
その夜、ベーブは妹のマティーに心の中で語りかける。
小さな少女はいつの日か大人になり、つまらないことに囲まれて生きること、でも生まれた時から持っている最上の部分は失わすに生きていって欲しいこと。
彼はあたたかな言葉で語りかける。
そう。
彼は、まだかろうじて人間に期待している。人間が戦争に向かっていくだけの生き物出ないことを心のどこかで期待している。それが、唯一の救いだ。
私はその期待に応えようと、その期待に応えるのはどうしたらいいのかと、
日々もがき続けているのである。
by おさいさん